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2010-03-27

インド スジャータ村 編

ブッタガヤの町の近くに歩いて行ける村にタケノリカップルと訪れた。

村の名前はスジャータ。

ついついスジャータ(CM)を歌いながら歩いていた。

のどかな風景がひろがった。
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タケノリと知り合いのインド人がその村を案内してくれた。

そのインド人は校長先生らしく、彼が作った学校に尋ねる事となった。

(ん、こんな瓦礫の建物に学校なんてあるのかな??)

6畳くらいの部屋に30人くらいぎゅうぎゅうに生徒が熱心に勉強していた。
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校長先生が何か授業をしてくれないか?と言うので俺達は順番に先生になった。

俺は日本語の挨拶を教えてチカは蛙の歌を皆で歌った。

タケシ君は生徒に将来どんな仕事がしたいのかと全員に聞いた。

恥ずかしそうにそろっと立っていう子供もいれば、自信強く言う子供もいた。

警察になりたい、村長になりたい、ムービースターになりたいと夢を子供達は語った。

目が輝いていた。

授業が終わり、校長先生は隣の村に花焼酎が有名だと更に案内してくれた。

田んぼの土手を歩き大きな木があった。
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農作業をしていたインド人が声をかけてきて、
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そのインド人が花焼酎を飲ませてくれるという。
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隣村に着き花焼酎をいただこうとすると、子供達が群がり俺達を見に来た。

お金をくれとかチョコレートをくれとか言ってくる。

おお!農作業のおっちゃんが石を持ってその子供達を追い払っている!!

子供達は「きゃー」と笑って逃げていったが、おっちゃんは本気だった。

花焼酎の味はまぁまぁだったかな。

その村では子供達が凧を上げていたり、手作りで弓を作ったりして遊んでいた。

校長先生が言った。

校長先生「さっき見た学校の子供達も学校が無かった時はこの村の子供と一緒だったんだよ」

更に続けた。

校長先生「この村にも学校を作れば子供達も夢を語り、物乞いとかしなくなるんだよね」

校長先生の次の目標は2つ目の学校を作る事だった。

学校で会った子供達は挨拶もできて目が輝いていた。

それを語る校長先生の目もまた輝いていた。

校長先生は近い内に日本人と結婚する。

こんなインド人もいるんだなと感心し、頑張ってほしいと心から願う。

俺達は何もできないけど、子供達にボールペンを買ってあげてねと気持ち校長先生に渡した。

少しづつだけど、知らないところでインドも変わりつつあるのかもしれない。
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2010-03-27

インド ブッタガヤ編

体調も治ってきて俺達もインドを流れる事にした。

(コルカタ滞在の半分はベットの上だったな。。)

西に流れていく事にした、

ブッタが悟りを開いた場所、ブッタガヤに向かった。

列車が着いたのが早朝5時ぐらいであった。

どんなに早くても客引きのドライバーがやってくるから頑張ってるなと思う。

オートリクシャーでブッタガヤに着くと、

朝早くから巡礼する人達がゾロゾロと歩いていて異様な雰囲気を感じた。

町は朝6時くらいから7時くらいまで町中にコーラン(お祈りのお経)が流れていた。

毎朝その音で少し起きてしまうが、

ここは聖地ブッタガヤなんだと少し思い、2度寝する。

そんな生活になっていくのであった。

最近ブッタガヤにダライラマが来ていたらしくブッタガヤはチベット僧が溢れていた。
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ブッタが悟りを得た場所には菩提樹と大きな寺院があり、

そこではたくさんのチベット僧が五体投地をしていた。

時を越えて、今でも信仰の力は息吹いているなとそう感じた。

俺にはまったく宗教など信仰など無い人間だから客観的に凄いなとしか思わないかな。

ブッタガヤにある日本寺で座禅を組めるらしい。

尋ねてみると朝と夕方に無料で参加できるというのだ、

早速、夕方に参加する事にした。

30分お経をあげ、15分座禅を組んだ。

座禅をしている時だった、(寺の中に鳥が飛んでる!)

静寂の中、鳥が飛び回り、久し振りにピンとした空気を味わった。

その日本寺に図書館があると聞き、そこで1冊の漫画を手にした。(少しだけ漫画がある。)

プリズンINプノンペンという漫画だった。

作者がプノンペン(カンボジアの首都)の牢屋に無実で半年容れられるという物語で、

容れられるまでと牢獄中と出てからのストーリーが1冊完結されている漫画であった。

物語の最後には涙がでた。

最近涙腺が弱ってきたのかな?是非読んでもらいたい1冊である。

日本寺の帰りに寄ったレストランのメニューに日本食があった。

(親子丼か。。100円ちょいか、久し振りに頼んでみようか。。)

ネパールで倒れて入院した以来でちょっと注文するのに勇気がいる。

親子丼がやってきた。

(んんん??ん?????こ、これって???)

俺「これ親子丼??」

店員「そうだよ!!これが親子丼!!!」

自信たっぷりに言ってるけど、、、これって。。。

おじやに溶き卵と鶏肉が入ってるだけじゃん!
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しかも味は塩と胡椒だけで開き直り笑いながら親子丼を食べた。

2010-03-27

インド コルカタ編 2

俺の腸は働いてるのだろうか?!

回数は普通だけど、下痢がもう何ヶ月も続いてるな。。

コルカタにはでかい公園があるらしくポイを回しにその公園に向かった。
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公園はそれは広く、

(こんな広いのはオーストラリア以来だな!)

オーストラリアの公園を思い出した。

クリケットの試合をしていたり、何故か羊や山羊を放牧している人もいた。

公園で生活している人達もいるようだ。

今日は本当に天気もよくポイ日和であった。

初めて見るポイやアンプにもインド人は興味があるらしく話し掛けてきた。

引切り無しに色々な人が話し掛けてくるから落ち着けて回すのは厳しい。

暑くなってきている、久し振りにこんなに汗かいて水をがぶ飲みした。

今まで冬を追いかけてきて旅流れてきたが、

とうとう夏が、灼熱のインドの予感がしてきた。

今夜は古典音楽祭の最終日。

夜通し行われるのだ、フルートのインドの第一人者が演奏する為、会場は満席であった。

シタールやタブラ(太鼓)や歌など色々な演奏を聴いた。

メインのフルートの音色は美しく良かった、

が、正直インドの古典音楽に興味は沸かなかったかな。

そのフルートの演奏者より友達のヒデ君のフルス(中国笛)の方が断然好きだったな。

ポイも音楽も好みがある、俺らしいポイを回して好かれたら最高だと、それを目指したいな。

朝早く音楽祭から帰ってきて俺達は眠りについた。。。

。。

目が覚めると調子が悪い、いや、、フラフラする。

(熱かも。。。)

何かに当たった。

何に当たったかなんて屋台ばっかり食べてるし判らない。

便は水。

4日間ベットから動けなかった。

窓から見る景色はいつも同じで、たまに微かに見える上空を飛ぶ飛行機をみて

当たり前だけど(インドでも飛行機飛んでら。。)そう思った。
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4日間の間、いっぱい友達がお見舞いに来てくれたなー

なんか仲間が、友達が自分の周りに居るのってやっぱりいいなって感じた。

それにしても4日間殆ど食べてないから痩せた。

トレッキングで得た筋肉は見る影もなく、アバラ骨までくっきり見えている。

何かに当たったと言うよりインドに当たった。

そう思った。

2010-03-27

インド コルカタ編 

このコルカタに来たのは古典音楽祭を見るために足を運んだのだ。

それを教えてくれた、

たけのりカップルが泊まると言っていた宿に着くと

宿は満室であった。

隣のパラゴンという宿を尋ねると、ちょうどみんなが居るでないか。

さとこちゃんや、かんたさん。ネパールで沢山遊んだメンバーが勢ぞろいであった。

丁度部屋も空いていて、70年代からあるといわれる、伝説の宿パラゴンに泊まることにした。

まぁ伝説と言われるだけあり、人の多さは半端なかった。

部屋は牢獄のようでそう褒めたもんじゃない。

その日は他の客達が夜中2時くらいまで騒ぎまくっていて、

しまいに日本人がいまいちギターで尾崎豊を歌いだした時には

切れそうになり、次の日には宿を移った。

正直移動続きで体が疲れていた。

丁度今の時期はどの宿もいっぱいであったが、

運良く移ったアショックという宿は1泊500円(2人で)マンションの4階が全部宿になっていた。

フロントの男がお笑い芸人みたいで、

チェックインすると、すぐに部屋に現れ「ホットシャワー今いるか?」と言ってきた。

インドでは水シャワーが当たり前で、バケツにお湯を入れてくれるらしい。

俺 「じゃあ2バケツちょうだい」というと

フロントの男 「じゃ10ルピー頂戴」と言ってきた。

は、確か。。。

値段交渉したときにバケツ1杯10ルピーと言って来て「何言ってんだ。1杯くらいおまけしろ」

と言って、おまけにしたはずだが。。。

このバケツじゃ俺達は2人だし、2杯必要である。

今、彼は2杯なら1杯分は無料だけど、2杯なら10ルピー(20円)をくれと言っている。

しっかりしている。

俺 「2杯無料にしてよ!」

フロントの男 「だめよー。1杯はただ。もう1杯は10ルピー!!」

そんなやりとりをしている時の彼には嫌な感じは全然感じられず、

むしろこの10ルピーを手に入れるための必死さを感じた。

俺 「払おっか」

チカ 「そやな」

10ルピーを渡すと、そのお札をオデコに当てながら、子供のように喜び、

回転しながら部屋を出て行った。

俺 「10ルピーですんごい喜んだなぁ!!」

チカ 「ほんま、子供みたいやったなぁ」

インド人の素直なかわいさと10ルピーの価値を知った。

コルカタの町のマップを見ていると、マクドナルドが載っているじゃないか!!

早速行って見ることにした。

(おーインドでも変わらないなぁ!!)

店員とお客がインド人なだけで、店はまったくもって同じであった。

ただ、ハンバーガーのメニューはチキン系とベジタブル、フィレオフィッシュしかないようだ。

ん!!

(チキンマハラジャマック?!)

名前だけでそれを注文してみた。

チキンマハラジャマックバリューセットで130ルピー(260円)

少々するが、食べ物にはそこでしか食べれないもの、本当に食べたいものにはお金は使うよ。

味はカレー味のチキンビックマックと言おうか。

次頼むか?と聞かれたら正直頼まないかな。

マクドナルドを出た俺達は調子に乗ってソフトクリーム屋に行った。

アイスの部分にマーブルチョコとかクッキーとかトッピングできるお店だった。

店員はダルそうに注文を聞いてきた。

久し振りに都会に出てきた田舎者状態である、

なかなか注文が決まらず店員は更にダルそうであった。

俺もチカもソフトクリームを口にした瞬間「美味しい?!!」

凄く贅沢な感じがする。

値段は40円、安くはない。

ソフトクリーム片手に交差点を渡り歩くと後ろから誰かが呼んできた。

(ん、、さっきの店員か?!)

店員「おつり!おつり!!」

チカがさっき払った後、

俺達はソフトクリームの美味さに興奮しすぎておつりを貰うのを忘れていたのだ!

インド。。。

インド人優しいじゃん!! 

インドが俺達にはいい感じで始まったような、確かな何かを感じた。

まだその時は今から始まる激動のインドになるとは思いもしなかった。。。。。


IMG_0345.jpg    フレッシュジュース屋で働く子供



IMG_0356.jpg  チョークで地面に絵を書き生きている子供




2010-03-27

インド国境編

砂埃の国境だった。

道の先が見えない。

大渋滞の中、荷馬車に乗って国境に進んでいった。
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向こうから走ってきた自転車に乗ってる男がいきなり首根っこをつかまれ殴られていた。

更にもう一人が棒で殴り加わった。

馬使いの人が「ポリス」と一言だけ言い、馬を走らせた。

こういったのは日常なのだろうか、普通に言っていた。

きっと何が悪い事でもしたのだろう。

人々の目が鋭い。

ネパーリーの優しい目の人は少ない気がする。
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インドの国境に着くと、

「今日国境を越えた外人はお前達が初めてだ。何かプレゼントでもくれないか」

などと言ってきた。

(何言ってんだ、俺がインドに初めてきた記念に何か欲しいくらいだ!)

馬使いの案内で宿はすぐに決まった。

腹が減った。朝から何も食べていない。

さっき荷馬車から見たおいしそうなカレー屋に入り、初のインドカレーを食べた。

スプーンは出てこない。手で食ってみる。

カレーの味は濃厚ですごくおいしくて、

これからずっとカレーになるかもしれないが、とりあえず安心した。

今日はバスも列車も無いらしい。

明日のコルカタ行きの列車のチケットを取りに駅に向かった。
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それにしても家や人はネパールに似ているが、やっぱり汚い。
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ゴミをあさっいる豚や犬や牛が多く、

たまにみる足を引きずっている犬の顔はぐちゃぐちゃで恐かった。

(あんなのに噛まれたらやばいな。。。)

夜は屋台で食べてフレッシュジュースを飲んだ。

どの食べ物も思ったよりも超おいしい。

インドの味付けは濃くてかなりいけていた。

インドのチャイ屋はネパールとは少し違った。

チャイ屋の周りに人が溢れかえっている。

待っていたら来るものでもなく、

どうしていいかわからず立っていたら一人のインド人が俺達に気づき

注文してくれて、更にチャイをおごってくれた。

インド初日でインド人にチャイをおごってもらえるなんて、インドに歓迎された気がした。

その初日の出来事で、いい感じに緊張の糸が解けた。

もちろん警戒レベルは下げないが、インドを楽しめる、きっと楽しくなるだろう、そう思った。

そして俺達はチケットを取り、

世界一汚い、世界一邪悪な町と言われるコルカタ(カルカッタ)を目指した。

コルカタに慣れたらインドのどこに行っても大丈夫らしい。

インド初めての夜は枕とベッドが凄く硬く感じた。

翌朝駅のホームで列車を待っていると俺達の乗る列車はどうやら遅れているみたいだった。
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列車が来て発車すると、走り出している列車に何人もの人が飛び乗り、

初めて見る光景に「あーインドだなぁ」笑いながら言った。

ホームにはいろいろな人が居た。

もちろん物乞いもやってくる。

その物乞いは俺からもらえないと諦めると、隣のインド人の若者にも貰おうとしていた。

インド人がインド人の物乞いを断るその光景は、どういうものなのか気になった。

丸くない楕円形のタイヤで荷物を運んでいるものや、

足が1本無く竹をうまく使って歩いている人も居た。

ボーッとしてると、いつの間にサドゥー(僧)が目の前に居るときがある。

更におでこに赤い染色を付けてき、花びらを頭に乗せてきて、そしてお金をみたいになる。

わけのわからん事は俺はいつも断わった。

列車は2時間も遅れてやってきた。
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席に座り少しすると、銃を持った男達が見回りにやってきた。

目は鋭く、俺達を目で舐めまわして去っていった。

列車の中はチャイや、バナナ、とうもろこしやピーナツ、様々な売り子がやってくる。

夕方、腹が減ってきたのでカレーを頼んだのだが、

3時間経ってもやってこない。

痺れを切らし他の物を食べた1時間後にカレーがやってきた。

さすが、インド。 店員はまったく悪かった感が無かった。

さっき食べたので腹は一杯、残してしまった。

その夜はねずみが俺達のバックパックやらベッドを走りに走り回り、俺は眠る事が出来なかった。

車窓から見るインドの朝は、灰色にくすんだ空に太陽がにじみ昇り始めていた。

コルカタの駅を出ると妙にタクシーがお洒落でここはインドなのか?!
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別の国ににいるような、変な錯覚に囚われたのだった。。

2010-03-04

ジャナクプル編 ネパール最終章

ローカルレストランにきている時だった。

隣のテーブルに座るネパーリーが話し掛けてきた。

どのくらいネパールに居るのか?と聞かれ

「約3ヶ月」と答えた。

そう、3ヶ月ビザの期限も迫っていた。

次にどこに行くのか?と聞かれ

「インディア」と答えると、そのネパーリーは少しだけ表情を曇らせ「気をつけろよ!」

と一言いい、もう1度「気をつけろ!」と言った。

モンゴル、中国、ネパールと今までの国は比較的に安全であった。

もちろん身の回りの管理は怠ってはない。

が、正直気持ちが緩んでいる。

インドでは気を付けていても物が一瞬で無くなるとよく聞く話しだ。

インドに近づくにつれて気を引き締める気持ちが高くなってきている。

こんな気持ちは久し振りで、ドキドキもするし、ワクワクでもある。

どんな事が起こるのだろう、今はまったく判らないが激動のインドになる予感がしていた。

カトマンドゥで仲良くなった隊長ともお別れだった。

久し振りに年下で隊長と呼べる頼もしい男であった。

出会いと別れ、それは仲良くなればなるほど辛いものである。

俺達はジャナクプルという町を通って国境を目指す事となった。

ジャナクプルには何があるのかというと唯一ネパールに走る列車があるのだ。

チカがそれに乗りたいと言っていた。

列車は1日3本。

駅のホームは野原のような場所で線路は生活道路として普通に皆が歩いていた。

(こんな場所に列車なんてくるのかなー?!)正直の気持ちである。

1本目がどうやら今日は来ないらしい、かなりいい加減である。

2本目が予定よりかなり遅れて列車はやってきた!

列車の前、横、上、もういろんな場所に人が乗っていて信じられない光景であった。
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窓が無く、鉄格子になっていて、そこに自転車を無理矢理くくり付けていた。

年季のある列車である。

インドの国境までしか外国人は乗れないのだ、駅を4つくらい列車に揺られた。

速度は10キロくらいだろうか、

かなりゆっくり同じペースで窓が無いから風が心地よかった。

国境前の駅で降りると、近くの村に住むお爺さんの案内でその村に立ち寄った。

観光客など来ないのだろう。

挨拶をしても返ってこなかったり恥ずかしそうだった。

子供はずっとついてくる子もいた。

手作りの家の壁には絵が書いてあり可愛い村であった。

そのお爺ちゃんはその村にある国境に連れて行ってくれた。

野原の先に見える白い建物を指差し「あれがインドの国境だよ」と言った。

しかし俺達は決められた国境しか通る事ができない。

(あの先がインドか。。。)

通ることの出来ない国境を見てインドに近くなってきてると思った。

帰りの列車は電気もなく外も見えず暗闇の中を走っていった。

心地良かった風はもう冷たく、少し寒かった。

(ネパールももう終りか?)

ふとそう思った。。

2010-03-04

ポカラ?チトワン?ルンビニ編

俺達はポカッとしていた。

ここポカラという町は何があるわけでもなかった。

デカイ湖の前に広がる町で、

8000m級のアンナプルナ山群が宿の屋上から見えた。

人も少なく、このポカラに休息しにきたのだ。

あの辛かったトレッキングや食中毒事件もここでリラックスする事で忘れられそうだ。

屋上で毎日ポイをまわしている、2連ポイも始まっている。
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確実に伸びている。ポイが最近すごくいい!

火も付け出していた。モンゴル・中国でなかった灯油がネパールでは簡単に手に入るからだ。

そんな中、ポカラで年末年始を迎える事になりそうだった。

ポカラの年末はメインストリートが歩行者天国になり、お祭り騒ぎだった。

昼間、路上パフォーマンスをしているのを見た。

(これはいけるかも。。)

30日の夜、路上でファイヤーパフォーマンスをやることにした。

年末のポカラはそれは人が多かった。

いろんな村からも人達が集まっている。

普段の10倍以上の人達でポカラは盛りに盛り上がっていた。

チカが回し、次に俺が回した。

いつの間にかに100人以上の人だかりが出来た。

ネパールの人達はノリが良く、変なタイミングで大拍手が沸き起こったり

アンコールまで要求してきた。

ちょっと緊張して、まぁまぁのポイだったけど、すごく楽しめた。

スーツケースの中にはお金がいっぱい入っていた。

その中に飴玉が2つ入っていたのが可愛くて嬉しかった。

「明日もやってねー」と言われ、確かな手ごたえを感じ、大晦日も路上でやることにした。

大晦日はライ君も加わり、3人で路上パフォーマンスをした。

今日は落ち着いて火を回す事が出来た。

3人で何回か回し、毎回100人以上集め、大盛況であった。

下手な言葉でも、皆お金を入れてくれる。

でもやっぱり最後に一言、

集まってくれた人達にうまく英語で言えるようになるのが今後の課題であった。

気が付くとアンコールを回してる間に年が明けていた。

大晦日のスーツケースの中はほぼ満タンに埋まり、素直にうれしかった。

今回この旅は本格的にポイをする為にアンプ(3キロ)を持ってきたが、

やっと活躍する場が出来て良かった。

まだパフォーマンスも始まったばかりだが、出だし好調である。

ポカラで年が明け、チトワンという町に移動し、サファリツアーに参加する事にした。

ジープサファリでサイの親子やサルや孔雀、色々な動物に遭遇した。
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川では象に乗ると、鼻から水を吸い込み背中に乗ってる俺達に鼻シャワーで歓迎してくれた。
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カヌーに乗ってるときだった。

鷹が蛇を掴み、大空に舞っていった時は、思わず声をあげた。

チトワンは世界遺産になっており、多くはないが、野生の動物に出会う事が出来た。

このチトワンにきてしまったお陰で、アフリカへの意識が高まった。

そして俺達はブッダ生誕の地ルンビ二にチトワンから流れた。

この町も世界遺産であり、ブッダが産まれたとされる菩提樹には沢山の巡礼者が訪れていた。
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その菩提樹のまわりに芝生があり、他とは違う神秘的な雰囲気に酔いしれ、芝に横になった。

草の匂いより香の香りが漂う中の昼寝は格別だった。

そしていろんな国の寺を観光し、俺達は再びカトマンドゥを目指した。

そう、インドビザを申請して、とうとうインドが近くなってきたのだ。

俺達の旅はインドまでは決まっているが、その先がまだ決まっていない。

南米にお金があるうちに駒を進めるか、それとも中東か迷うところである。

とりあえずインドでサイババに会いに行こうかな。

2010-03-04

食中毒編

「一太のカツ丼!!!!」 

そう何度も向かいの山に叫んだ事か。。

トレッキングでの1番欲望は食べる事であった。

今日でカトマンドゥに帰ってきて2日目で2日連続で一太(日本食レストラン)に来ている。

昨日は一言も誰も喋らず食べた。

23日も山に居て、下界でのカツ丼は想像以上に美味かった。

今日もまたカツ丼を注文したのだ、

これから起こる悲劇を知らずに。。。。。。


食べてる途中にライ君が「この肉、生だなぁー」と言い、肉を丼の端に避けた。

(生か、危ないな。。)と少し思いながらカツ丼を口にかけこむ。

今日はチベット越えしてきたヨッキーも久し振りに再会していた。

会計しようと皆が席を立とうとしたあたりだった。

ライ君が立たない。

「ちょっと今、気持悪いかも、立たれへんなぁ」

おかしなことを言い出した途端、ライ君は白目をむき「ズズズ」っと椅子からずれていった。

倒れる!!

俺とチカでライ君を支え、ライ君を呼んだ。叫んだ。

その時ライ君の左手が痙攣していた。(ヤバイ。何がなんだか分からない)

混乱した。

「ライ君!!ライ君!!!!」

3秒くらいだろうか。目を覚ますとライ君はすぐに滝のようにゲロを吐いた。

吐いたゲロが俺の脚に跳ねたが、気にしているような状態ではない。

そのゲロの臭いにもらいゲロしそうになってきた。

(ヤバイ。気分が悪くなってきた。)

ライ君の事を助けれる状態ではなくなってきた。

1人店から出て階段に座り、落ち着こうとした。

頭は混乱していた。

ライ君のことが心配だった。あの痙攣の仕方が頭に焼き付いていた。

(後遺症がのこらなければいいが。。。)


うっ。。。吐きそうだ。

だ、駄目だ、、

は、吐。。。

。。。。。。。。


「なべちゃん!!」チカの声で目が覚めた。

(え!?俺どうしたんだ。。)

ほっぺがゲロの海につかっている。

倒れていた。

左のこめかみ辺りが痛い。(倒れたときに切ったのか?!)

触って確かめてみると、ゲロと血がついた。

更に便がケツから顔を出している。(やばい!ウンコを漏らすわけにはいかん!)

行く事の出来なかったトイレにゲロと血まみれの状態でヨロヨロ入った。

(はぁはぁ。。なんとか漏らさなかったな。。。)

気を失った事など今までなかった。

自分もなんだかヤバイ。

ライ君の事など心配できる状態ではなく、また倒れてしまいそうなひどい状態だった。

ヨッキーかチカが「病院!タクシー!」と言い出していた。

現場は大混乱でとりあえず病院に向かうのが先決のようだった。

フラフラと階段を降り、タクシーを待ってる間、また失神しそうになった。

チカがどんどん見えなくなり、黒がどんどん支配していった。

その最中、ヨッキーが水をくれて、なんとか失神せずに済んだ。

この時のヨッキーのくれた水は凄く助かった。

チカもヨッキーもすごく大変そうだった。

朦朧としている中それは分かった。

病院に着くとすぐに、俺は麻酔抜きでこめかみを縫われた。

俺はされるがまま、痛かった記憶のみ残った。

点滴を打たれ、一晩入院する事となった。
画像 041

朝起きると、ライ君が隣のベッドにいた。

ライ君は「タバコ吸ってもいいかなぁ」などと言っている。

どうやらもう心配する必要はなさそうだ。

原因ははっきりしないが、卵か肉だろうと先生が言っていた。

昨日は本当に心の底からライ君が心配で自分も何がなんだか分からなくて、そして怖かった。

死ぬんじゃないかと思った。

生きてる喜びを知った、出来事であった。

2010-03-04

ヒマラヤトレッキング編

ネパールでの生活はいつの間にか至福を肥やした生活になっていた。

カジノは負け越し、ローカル食堂も行かず日本食ばっかり食べていた。

佐藤浩市に今日も「トレッキング行かないのか?」と言われた。

トレッキング。。

今は正にトレッキングシーズンであるが、少し寒くなり始めていた。

(やはり、そろそろ登り始めないといけないな。。)

そう俺達は、ネパールに聳える、ヒマラヤ山脈にトレッキングをしに来たのだ。

通常のコースを説明すると、飛行機でルクラという山岳町に飛ぶ。

そこからいくつもの山を越え、5000メートルを超える頂上を目指し、絶景エベレストに出会えるのだ。

しかし、俺達の選んだコースはルクラまでの飛行機を使わず、

ジリという村からルクラ、そしてエベレストが見える頂上まで登るハードコースにした。

正直トレッキングは初めてで、ジリから鍛えるつもりであった。


バスでカトマンドゥから7時間揺られジリに着くと小さな村だった。

100メートルくらいの村で子供がやたらと多い。

水を買った時に俺のリュックを見て店員は

「どのくらいトレッキングしてくるのかい?」と聞いてきた。

「大体、1ヶ月位かなー」そう答えるも登ってみないとわからなかった。

山道に入ると鶏がヒヨコを連れ横切る。

子供達が「こんにちわー」と挨拶してくる、爽やかな始まりだった。

10分もしないうちに山道は急になってきた。

(えっ?!いきなりこんな急な山道かよ!)

長袖を脱ぎ、少しすると芝生が広がった。

糞を避け、芝生に寝転がり小さくなったジリの村を眺める。

3つも4つも見える山々は棚田や家を拵え、人々の生活をみせた。

冬が近いのに蝉が鳴いている。

鳥達の囀りや木々や風の音が心地よかった。

歩き始めると、とんでもない荷物を運んでるお爺ちゃんがいた。

シェルパ民族だった。

もう3時間は歩いていた。

所々で道を聞きながら登っていったが、とうとう迷ってしまったのだ。

進めば棚田でてしまい途方に暮れているところ、

向こうに人が歩いていて必死に呼んでみた。

その人が来た道に出ればどうやら進めるみたいだった。

もう既に2つは山を越えてきた。

(こんなにきついとは。。。。。)

平らな道など無かった、ピクニック気分もちょっとはあった。

想像を絶するきつさだった。

外人のトレッカーに出会うとルクラから4日で来たと言っていた。

(4日もか。。。)

根をあげそうであった、こんなにきつい事なんてしたことない。

まだ登ってる、もう5時間は登りっぱなしである。

斜面はスキー場でいう、上級コースの斜面級である。

(かなりしんどい。。)

左肩が痛い、足の裏もだ。

やっと下りになったらマリという村に着いた。

今日の目的地までまだ結構あった、かなりペースが遅い事を知った。

(休憩しすぎたか。。でも辛いし。。)

時計は2時を過ぎていた、夕方までには着きたい。

体は既に限界近く、膝が笑っていた。

その後は完全にバテてしまった。
画像 996

バテると急激にペースは落ち、どう頑張っても頑張れなかった。

ここまで頑張れない事なんてあっただろうか。

1人遅れ始めた。

芝生でお父さんと子供達が木の板を使い芝を滑っているの座り眺めた。

Tシャツはビッチョりである。

(舐めてた、山を完全に舐めてた。。腹くくらないと登れない。。。。。!)

初日で本気で山と向き合うこととなった。

途中、毒草を触って手を怪我したり、チカとライ君とはぐれたり、

馬やヤクの糞を避けつつ、ポーター(荷物運びのシェルパ族)と抜きつぬかれつ。

山岳民族シェルパ族は時には荷物(食料、燃料)を100?を担ぎながら色んな村に運ぶ。

山登りの辛さを知って、俺はシェルパ族を心から尊敬した。

とても真似できない、すごい民族であった。

外人が4日かかったルクラまでの道程を俺達は10日かかった。

ルクラまでの道が本当にきつい山道だった。

3000メートル級の山をいくつか越え、峠も3つ越えてきた。

しんどかった、この一言。

ルクラからはトレッカーも増えてきた、霜が降り始めている。

寒くなってきてる。

道もそんなに急でなくなってきた。

体は出来ていた、脹脛、太ももの筋肉はムキムキになっていて、

足の親指の豆は2回も潰れ硬くなっていた。
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ただ、標高がこれからは4000メートルをこえてくるのだ。

呼吸がしにくくなってくる。

高山病に気をつける登り方に変わっていった。

木も育つ限界を超え少なくなってきて、とうとう雪が山道に残っていた。

8000メートル級の山々がたまに見え始めてきた。

4000メートルを超える村では下から雲が上がってきて村をすっぽり包む。

まるで別の場所と錯覚してしまう。

ヘリがルクラを過ぎてからは絶えない、飛びまくっている。

人が倒れているのだ、世界中のトレッカーがこのヒマラヤに来ている。

トレッカーの年齢層は高く年配の人が多いから高山病になりやすいのかもしれない。

モンラという村に泊まっている真夜中、窓の外を見ると

神々しい山の上に満月が輝き、その光が山の下に漂う雲海に照らされていた。

その山の裏にオリオン座が半分隠れていた。

ここでしか見れない神秘的な景色に声が漏れた。

かなり寒くなってきている、寝袋とブランケットで寝ても眠れない夜もあった。

温かいシャワーが恋しい、うまいもんが恋しい。

トレッキングが終わったら何しようかと妄想が膨らんだ。

俺達は標高5300メートルのゴウキョピークというポイントを目指していた。

17日目にゴーキョピークの麓(4700?)に辿りついた。

4500?超える登山は2,3歩リズムを崩すと息が荒れ、1歩1歩に気を使う世界。
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5000?を超える登山は未知であり、どこまで頑張れるか分からない恐い世界。

呼吸音が今までに聞いたこと無い音を立てた。

最後の山は最後に相応しい、きつく、くるしく。

でも空が近くて、空の終点が頂上にあるのじゃないか?!そう想いながら登った。

頂上。
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この景色を見る為に17日。

その頂上にはちょうど誰も居なく、俺達はスピーカーで音楽を流した。
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360度、神々の座が気高く聳え立つその真ん中に俺達は居る。
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(あれがエベレストかぁ。。。!)

長かった、きつかった、でも空が青く近くてエベレストが格好よくて。

全てが清算されて、初めて「登ってよかったな!!」そう口にした。

そして俺達は1週間かけルクラに下山し、セスナでカトマンドゥに戻ったのだ。

トレッキングとは自分を知り、山を知り、景色を楽しむ、そして厳しい世界だった。

1歩踏み入れた俺達はまた、いつかどこかの山に挑戦するのかは謎であるが、

また挑戦してみるのも悪くないな、そう思えるかな。


トレッキング日数23 シャワー浴びた回数4回 うんこまみれ1回
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