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2010-03-04

ジャナクプル編 ネパール最終章

ローカルレストランにきている時だった。

隣のテーブルに座るネパーリーが話し掛けてきた。

どのくらいネパールに居るのか?と聞かれ

「約3ヶ月」と答えた。

そう、3ヶ月ビザの期限も迫っていた。

次にどこに行くのか?と聞かれ

「インディア」と答えると、そのネパーリーは少しだけ表情を曇らせ「気をつけろよ!」

と一言いい、もう1度「気をつけろ!」と言った。

モンゴル、中国、ネパールと今までの国は比較的に安全であった。

もちろん身の回りの管理は怠ってはない。

が、正直気持ちが緩んでいる。

インドでは気を付けていても物が一瞬で無くなるとよく聞く話しだ。

インドに近づくにつれて気を引き締める気持ちが高くなってきている。

こんな気持ちは久し振りで、ドキドキもするし、ワクワクでもある。

どんな事が起こるのだろう、今はまったく判らないが激動のインドになる予感がしていた。

カトマンドゥで仲良くなった隊長ともお別れだった。

久し振りに年下で隊長と呼べる頼もしい男であった。

出会いと別れ、それは仲良くなればなるほど辛いものである。

俺達はジャナクプルという町を通って国境を目指す事となった。

ジャナクプルには何があるのかというと唯一ネパールに走る列車があるのだ。

チカがそれに乗りたいと言っていた。

列車は1日3本。

駅のホームは野原のような場所で線路は生活道路として普通に皆が歩いていた。

(こんな場所に列車なんてくるのかなー?!)正直の気持ちである。

1本目がどうやら今日は来ないらしい、かなりいい加減である。

2本目が予定よりかなり遅れて列車はやってきた!

列車の前、横、上、もういろんな場所に人が乗っていて信じられない光景であった。
IMG_0256.jpg

窓が無く、鉄格子になっていて、そこに自転車を無理矢理くくり付けていた。

年季のある列車である。

インドの国境までしか外国人は乗れないのだ、駅を4つくらい列車に揺られた。

速度は10キロくらいだろうか、

かなりゆっくり同じペースで窓が無いから風が心地よかった。

国境前の駅で降りると、近くの村に住むお爺さんの案内でその村に立ち寄った。

観光客など来ないのだろう。

挨拶をしても返ってこなかったり恥ずかしそうだった。

子供はずっとついてくる子もいた。

手作りの家の壁には絵が書いてあり可愛い村であった。

そのお爺ちゃんはその村にある国境に連れて行ってくれた。

野原の先に見える白い建物を指差し「あれがインドの国境だよ」と言った。

しかし俺達は決められた国境しか通る事ができない。

(あの先がインドか。。。)

通ることの出来ない国境を見てインドに近くなってきてると思った。

帰りの列車は電気もなく外も見えず暗闇の中を走っていった。

心地良かった風はもう冷たく、少し寒かった。

(ネパールももう終りか?)

ふとそう思った。。
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2010-03-04

ポカラ?チトワン?ルンビニ編

俺達はポカッとしていた。

ここポカラという町は何があるわけでもなかった。

デカイ湖の前に広がる町で、

8000m級のアンナプルナ山群が宿の屋上から見えた。

人も少なく、このポカラに休息しにきたのだ。

あの辛かったトレッキングや食中毒事件もここでリラックスする事で忘れられそうだ。

屋上で毎日ポイをまわしている、2連ポイも始まっている。
IMG_0006.jpg

確実に伸びている。ポイが最近すごくいい!

火も付け出していた。モンゴル・中国でなかった灯油がネパールでは簡単に手に入るからだ。

そんな中、ポカラで年末年始を迎える事になりそうだった。

ポカラの年末はメインストリートが歩行者天国になり、お祭り騒ぎだった。

昼間、路上パフォーマンスをしているのを見た。

(これはいけるかも。。)

30日の夜、路上でファイヤーパフォーマンスをやることにした。

年末のポカラはそれは人が多かった。

いろんな村からも人達が集まっている。

普段の10倍以上の人達でポカラは盛りに盛り上がっていた。

チカが回し、次に俺が回した。

いつの間にかに100人以上の人だかりが出来た。

ネパールの人達はノリが良く、変なタイミングで大拍手が沸き起こったり

アンコールまで要求してきた。

ちょっと緊張して、まぁまぁのポイだったけど、すごく楽しめた。

スーツケースの中にはお金がいっぱい入っていた。

その中に飴玉が2つ入っていたのが可愛くて嬉しかった。

「明日もやってねー」と言われ、確かな手ごたえを感じ、大晦日も路上でやることにした。

大晦日はライ君も加わり、3人で路上パフォーマンスをした。

今日は落ち着いて火を回す事が出来た。

3人で何回か回し、毎回100人以上集め、大盛況であった。

下手な言葉でも、皆お金を入れてくれる。

でもやっぱり最後に一言、

集まってくれた人達にうまく英語で言えるようになるのが今後の課題であった。

気が付くとアンコールを回してる間に年が明けていた。

大晦日のスーツケースの中はほぼ満タンに埋まり、素直にうれしかった。

今回この旅は本格的にポイをする為にアンプ(3キロ)を持ってきたが、

やっと活躍する場が出来て良かった。

まだパフォーマンスも始まったばかりだが、出だし好調である。

ポカラで年が明け、チトワンという町に移動し、サファリツアーに参加する事にした。

ジープサファリでサイの親子やサルや孔雀、色々な動物に遭遇した。
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川では象に乗ると、鼻から水を吸い込み背中に乗ってる俺達に鼻シャワーで歓迎してくれた。
IMG_0151.jpg

カヌーに乗ってるときだった。

鷹が蛇を掴み、大空に舞っていった時は、思わず声をあげた。

チトワンは世界遺産になっており、多くはないが、野生の動物に出会う事が出来た。

このチトワンにきてしまったお陰で、アフリカへの意識が高まった。

そして俺達はブッダ生誕の地ルンビ二にチトワンから流れた。

この町も世界遺産であり、ブッダが産まれたとされる菩提樹には沢山の巡礼者が訪れていた。
P1081594.jpg

その菩提樹のまわりに芝生があり、他とは違う神秘的な雰囲気に酔いしれ、芝に横になった。

草の匂いより香の香りが漂う中の昼寝は格別だった。

そしていろんな国の寺を観光し、俺達は再びカトマンドゥを目指した。

そう、インドビザを申請して、とうとうインドが近くなってきたのだ。

俺達の旅はインドまでは決まっているが、その先がまだ決まっていない。

南米にお金があるうちに駒を進めるか、それとも中東か迷うところである。

とりあえずインドでサイババに会いに行こうかな。

2010-03-04

食中毒編

「一太のカツ丼!!!!」 

そう何度も向かいの山に叫んだ事か。。

トレッキングでの1番欲望は食べる事であった。

今日でカトマンドゥに帰ってきて2日目で2日連続で一太(日本食レストラン)に来ている。

昨日は一言も誰も喋らず食べた。

23日も山に居て、下界でのカツ丼は想像以上に美味かった。

今日もまたカツ丼を注文したのだ、

これから起こる悲劇を知らずに。。。。。。


食べてる途中にライ君が「この肉、生だなぁー」と言い、肉を丼の端に避けた。

(生か、危ないな。。)と少し思いながらカツ丼を口にかけこむ。

今日はチベット越えしてきたヨッキーも久し振りに再会していた。

会計しようと皆が席を立とうとしたあたりだった。

ライ君が立たない。

「ちょっと今、気持悪いかも、立たれへんなぁ」

おかしなことを言い出した途端、ライ君は白目をむき「ズズズ」っと椅子からずれていった。

倒れる!!

俺とチカでライ君を支え、ライ君を呼んだ。叫んだ。

その時ライ君の左手が痙攣していた。(ヤバイ。何がなんだか分からない)

混乱した。

「ライ君!!ライ君!!!!」

3秒くらいだろうか。目を覚ますとライ君はすぐに滝のようにゲロを吐いた。

吐いたゲロが俺の脚に跳ねたが、気にしているような状態ではない。

そのゲロの臭いにもらいゲロしそうになってきた。

(ヤバイ。気分が悪くなってきた。)

ライ君の事を助けれる状態ではなくなってきた。

1人店から出て階段に座り、落ち着こうとした。

頭は混乱していた。

ライ君のことが心配だった。あの痙攣の仕方が頭に焼き付いていた。

(後遺症がのこらなければいいが。。。)


うっ。。。吐きそうだ。

だ、駄目だ、、

は、吐。。。

。。。。。。。。


「なべちゃん!!」チカの声で目が覚めた。

(え!?俺どうしたんだ。。)

ほっぺがゲロの海につかっている。

倒れていた。

左のこめかみ辺りが痛い。(倒れたときに切ったのか?!)

触って確かめてみると、ゲロと血がついた。

更に便がケツから顔を出している。(やばい!ウンコを漏らすわけにはいかん!)

行く事の出来なかったトイレにゲロと血まみれの状態でヨロヨロ入った。

(はぁはぁ。。なんとか漏らさなかったな。。。)

気を失った事など今までなかった。

自分もなんだかヤバイ。

ライ君の事など心配できる状態ではなく、また倒れてしまいそうなひどい状態だった。

ヨッキーかチカが「病院!タクシー!」と言い出していた。

現場は大混乱でとりあえず病院に向かうのが先決のようだった。

フラフラと階段を降り、タクシーを待ってる間、また失神しそうになった。

チカがどんどん見えなくなり、黒がどんどん支配していった。

その最中、ヨッキーが水をくれて、なんとか失神せずに済んだ。

この時のヨッキーのくれた水は凄く助かった。

チカもヨッキーもすごく大変そうだった。

朦朧としている中それは分かった。

病院に着くとすぐに、俺は麻酔抜きでこめかみを縫われた。

俺はされるがまま、痛かった記憶のみ残った。

点滴を打たれ、一晩入院する事となった。
画像 041

朝起きると、ライ君が隣のベッドにいた。

ライ君は「タバコ吸ってもいいかなぁ」などと言っている。

どうやらもう心配する必要はなさそうだ。

原因ははっきりしないが、卵か肉だろうと先生が言っていた。

昨日は本当に心の底からライ君が心配で自分も何がなんだか分からなくて、そして怖かった。

死ぬんじゃないかと思った。

生きてる喜びを知った、出来事であった。

2010-03-04

ヒマラヤトレッキング編

ネパールでの生活はいつの間にか至福を肥やした生活になっていた。

カジノは負け越し、ローカル食堂も行かず日本食ばっかり食べていた。

佐藤浩市に今日も「トレッキング行かないのか?」と言われた。

トレッキング。。

今は正にトレッキングシーズンであるが、少し寒くなり始めていた。

(やはり、そろそろ登り始めないといけないな。。)

そう俺達は、ネパールに聳える、ヒマラヤ山脈にトレッキングをしに来たのだ。

通常のコースを説明すると、飛行機でルクラという山岳町に飛ぶ。

そこからいくつもの山を越え、5000メートルを超える頂上を目指し、絶景エベレストに出会えるのだ。

しかし、俺達の選んだコースはルクラまでの飛行機を使わず、

ジリという村からルクラ、そしてエベレストが見える頂上まで登るハードコースにした。

正直トレッキングは初めてで、ジリから鍛えるつもりであった。


バスでカトマンドゥから7時間揺られジリに着くと小さな村だった。

100メートルくらいの村で子供がやたらと多い。

水を買った時に俺のリュックを見て店員は

「どのくらいトレッキングしてくるのかい?」と聞いてきた。

「大体、1ヶ月位かなー」そう答えるも登ってみないとわからなかった。

山道に入ると鶏がヒヨコを連れ横切る。

子供達が「こんにちわー」と挨拶してくる、爽やかな始まりだった。

10分もしないうちに山道は急になってきた。

(えっ?!いきなりこんな急な山道かよ!)

長袖を脱ぎ、少しすると芝生が広がった。

糞を避け、芝生に寝転がり小さくなったジリの村を眺める。

3つも4つも見える山々は棚田や家を拵え、人々の生活をみせた。

冬が近いのに蝉が鳴いている。

鳥達の囀りや木々や風の音が心地よかった。

歩き始めると、とんでもない荷物を運んでるお爺ちゃんがいた。

シェルパ民族だった。

もう3時間は歩いていた。

所々で道を聞きながら登っていったが、とうとう迷ってしまったのだ。

進めば棚田でてしまい途方に暮れているところ、

向こうに人が歩いていて必死に呼んでみた。

その人が来た道に出ればどうやら進めるみたいだった。

もう既に2つは山を越えてきた。

(こんなにきついとは。。。。。)

平らな道など無かった、ピクニック気分もちょっとはあった。

想像を絶するきつさだった。

外人のトレッカーに出会うとルクラから4日で来たと言っていた。

(4日もか。。。)

根をあげそうであった、こんなにきつい事なんてしたことない。

まだ登ってる、もう5時間は登りっぱなしである。

斜面はスキー場でいう、上級コースの斜面級である。

(かなりしんどい。。)

左肩が痛い、足の裏もだ。

やっと下りになったらマリという村に着いた。

今日の目的地までまだ結構あった、かなりペースが遅い事を知った。

(休憩しすぎたか。。でも辛いし。。)

時計は2時を過ぎていた、夕方までには着きたい。

体は既に限界近く、膝が笑っていた。

その後は完全にバテてしまった。
画像 996

バテると急激にペースは落ち、どう頑張っても頑張れなかった。

ここまで頑張れない事なんてあっただろうか。

1人遅れ始めた。

芝生でお父さんと子供達が木の板を使い芝を滑っているの座り眺めた。

Tシャツはビッチョりである。

(舐めてた、山を完全に舐めてた。。腹くくらないと登れない。。。。。!)

初日で本気で山と向き合うこととなった。

途中、毒草を触って手を怪我したり、チカとライ君とはぐれたり、

馬やヤクの糞を避けつつ、ポーター(荷物運びのシェルパ族)と抜きつぬかれつ。

山岳民族シェルパ族は時には荷物(食料、燃料)を100?を担ぎながら色んな村に運ぶ。

山登りの辛さを知って、俺はシェルパ族を心から尊敬した。

とても真似できない、すごい民族であった。

外人が4日かかったルクラまでの道程を俺達は10日かかった。

ルクラまでの道が本当にきつい山道だった。

3000メートル級の山をいくつか越え、峠も3つ越えてきた。

しんどかった、この一言。

ルクラからはトレッカーも増えてきた、霜が降り始めている。

寒くなってきてる。

道もそんなに急でなくなってきた。

体は出来ていた、脹脛、太ももの筋肉はムキムキになっていて、

足の親指の豆は2回も潰れ硬くなっていた。
画像 830

ただ、標高がこれからは4000メートルをこえてくるのだ。

呼吸がしにくくなってくる。

高山病に気をつける登り方に変わっていった。

木も育つ限界を超え少なくなってきて、とうとう雪が山道に残っていた。

8000メートル級の山々がたまに見え始めてきた。

4000メートルを超える村では下から雲が上がってきて村をすっぽり包む。

まるで別の場所と錯覚してしまう。

ヘリがルクラを過ぎてからは絶えない、飛びまくっている。

人が倒れているのだ、世界中のトレッカーがこのヒマラヤに来ている。

トレッカーの年齢層は高く年配の人が多いから高山病になりやすいのかもしれない。

モンラという村に泊まっている真夜中、窓の外を見ると

神々しい山の上に満月が輝き、その光が山の下に漂う雲海に照らされていた。

その山の裏にオリオン座が半分隠れていた。

ここでしか見れない神秘的な景色に声が漏れた。

かなり寒くなってきている、寝袋とブランケットで寝ても眠れない夜もあった。

温かいシャワーが恋しい、うまいもんが恋しい。

トレッキングが終わったら何しようかと妄想が膨らんだ。

俺達は標高5300メートルのゴウキョピークというポイントを目指していた。

17日目にゴーキョピークの麓(4700?)に辿りついた。

4500?超える登山は2,3歩リズムを崩すと息が荒れ、1歩1歩に気を使う世界。
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5000?を超える登山は未知であり、どこまで頑張れるか分からない恐い世界。

呼吸音が今までに聞いたこと無い音を立てた。

最後の山は最後に相応しい、きつく、くるしく。

でも空が近くて、空の終点が頂上にあるのじゃないか?!そう想いながら登った。

頂上。
画像 2095

この景色を見る為に17日。

その頂上にはちょうど誰も居なく、俺達はスピーカーで音楽を流した。
画像 2099

360度、神々の座が気高く聳え立つその真ん中に俺達は居る。
画像 1053

(あれがエベレストかぁ。。。!)

長かった、きつかった、でも空が青く近くてエベレストが格好よくて。

全てが清算されて、初めて「登ってよかったな!!」そう口にした。

そして俺達は1週間かけルクラに下山し、セスナでカトマンドゥに戻ったのだ。

トレッキングとは自分を知り、山を知り、景色を楽しむ、そして厳しい世界だった。

1歩踏み入れた俺達はまた、いつかどこかの山に挑戦するのかは謎であるが、

また挑戦してみるのも悪くないな、そう思えるかな。


トレッキング日数23 シャワー浴びた回数4回 うんこまみれ1回
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