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2010-03-04

ヒマラヤトレッキング編

ネパールでの生活はいつの間にか至福を肥やした生活になっていた。

カジノは負け越し、ローカル食堂も行かず日本食ばっかり食べていた。

佐藤浩市に今日も「トレッキング行かないのか?」と言われた。

トレッキング。。

今は正にトレッキングシーズンであるが、少し寒くなり始めていた。

(やはり、そろそろ登り始めないといけないな。。)

そう俺達は、ネパールに聳える、ヒマラヤ山脈にトレッキングをしに来たのだ。

通常のコースを説明すると、飛行機でルクラという山岳町に飛ぶ。

そこからいくつもの山を越え、5000メートルを超える頂上を目指し、絶景エベレストに出会えるのだ。

しかし、俺達の選んだコースはルクラまでの飛行機を使わず、

ジリという村からルクラ、そしてエベレストが見える頂上まで登るハードコースにした。

正直トレッキングは初めてで、ジリから鍛えるつもりであった。


バスでカトマンドゥから7時間揺られジリに着くと小さな村だった。

100メートルくらいの村で子供がやたらと多い。

水を買った時に俺のリュックを見て店員は

「どのくらいトレッキングしてくるのかい?」と聞いてきた。

「大体、1ヶ月位かなー」そう答えるも登ってみないとわからなかった。

山道に入ると鶏がヒヨコを連れ横切る。

子供達が「こんにちわー」と挨拶してくる、爽やかな始まりだった。

10分もしないうちに山道は急になってきた。

(えっ?!いきなりこんな急な山道かよ!)

長袖を脱ぎ、少しすると芝生が広がった。

糞を避け、芝生に寝転がり小さくなったジリの村を眺める。

3つも4つも見える山々は棚田や家を拵え、人々の生活をみせた。

冬が近いのに蝉が鳴いている。

鳥達の囀りや木々や風の音が心地よかった。

歩き始めると、とんでもない荷物を運んでるお爺ちゃんがいた。

シェルパ民族だった。

もう3時間は歩いていた。

所々で道を聞きながら登っていったが、とうとう迷ってしまったのだ。

進めば棚田でてしまい途方に暮れているところ、

向こうに人が歩いていて必死に呼んでみた。

その人が来た道に出ればどうやら進めるみたいだった。

もう既に2つは山を越えてきた。

(こんなにきついとは。。。。。)

平らな道など無かった、ピクニック気分もちょっとはあった。

想像を絶するきつさだった。

外人のトレッカーに出会うとルクラから4日で来たと言っていた。

(4日もか。。。)

根をあげそうであった、こんなにきつい事なんてしたことない。

まだ登ってる、もう5時間は登りっぱなしである。

斜面はスキー場でいう、上級コースの斜面級である。

(かなりしんどい。。)

左肩が痛い、足の裏もだ。

やっと下りになったらマリという村に着いた。

今日の目的地までまだ結構あった、かなりペースが遅い事を知った。

(休憩しすぎたか。。でも辛いし。。)

時計は2時を過ぎていた、夕方までには着きたい。

体は既に限界近く、膝が笑っていた。

その後は完全にバテてしまった。
画像 996

バテると急激にペースは落ち、どう頑張っても頑張れなかった。

ここまで頑張れない事なんてあっただろうか。

1人遅れ始めた。

芝生でお父さんと子供達が木の板を使い芝を滑っているの座り眺めた。

Tシャツはビッチョりである。

(舐めてた、山を完全に舐めてた。。腹くくらないと登れない。。。。。!)

初日で本気で山と向き合うこととなった。

途中、毒草を触って手を怪我したり、チカとライ君とはぐれたり、

馬やヤクの糞を避けつつ、ポーター(荷物運びのシェルパ族)と抜きつぬかれつ。

山岳民族シェルパ族は時には荷物(食料、燃料)を100?を担ぎながら色んな村に運ぶ。

山登りの辛さを知って、俺はシェルパ族を心から尊敬した。

とても真似できない、すごい民族であった。

外人が4日かかったルクラまでの道程を俺達は10日かかった。

ルクラまでの道が本当にきつい山道だった。

3000メートル級の山をいくつか越え、峠も3つ越えてきた。

しんどかった、この一言。

ルクラからはトレッカーも増えてきた、霜が降り始めている。

寒くなってきてる。

道もそんなに急でなくなってきた。

体は出来ていた、脹脛、太ももの筋肉はムキムキになっていて、

足の親指の豆は2回も潰れ硬くなっていた。
画像 830

ただ、標高がこれからは4000メートルをこえてくるのだ。

呼吸がしにくくなってくる。

高山病に気をつける登り方に変わっていった。

木も育つ限界を超え少なくなってきて、とうとう雪が山道に残っていた。

8000メートル級の山々がたまに見え始めてきた。

4000メートルを超える村では下から雲が上がってきて村をすっぽり包む。

まるで別の場所と錯覚してしまう。

ヘリがルクラを過ぎてからは絶えない、飛びまくっている。

人が倒れているのだ、世界中のトレッカーがこのヒマラヤに来ている。

トレッカーの年齢層は高く年配の人が多いから高山病になりやすいのかもしれない。

モンラという村に泊まっている真夜中、窓の外を見ると

神々しい山の上に満月が輝き、その光が山の下に漂う雲海に照らされていた。

その山の裏にオリオン座が半分隠れていた。

ここでしか見れない神秘的な景色に声が漏れた。

かなり寒くなってきている、寝袋とブランケットで寝ても眠れない夜もあった。

温かいシャワーが恋しい、うまいもんが恋しい。

トレッキングが終わったら何しようかと妄想が膨らんだ。

俺達は標高5300メートルのゴウキョピークというポイントを目指していた。

17日目にゴーキョピークの麓(4700?)に辿りついた。

4500?超える登山は2,3歩リズムを崩すと息が荒れ、1歩1歩に気を使う世界。
画像 1059

5000?を超える登山は未知であり、どこまで頑張れるか分からない恐い世界。

呼吸音が今までに聞いたこと無い音を立てた。

最後の山は最後に相応しい、きつく、くるしく。

でも空が近くて、空の終点が頂上にあるのじゃないか?!そう想いながら登った。

頂上。
画像 2095

この景色を見る為に17日。

その頂上にはちょうど誰も居なく、俺達はスピーカーで音楽を流した。
画像 2099

360度、神々の座が気高く聳え立つその真ん中に俺達は居る。
画像 1053

(あれがエベレストかぁ。。。!)

長かった、きつかった、でも空が青く近くてエベレストが格好よくて。

全てが清算されて、初めて「登ってよかったな!!」そう口にした。

そして俺達は1週間かけルクラに下山し、セスナでカトマンドゥに戻ったのだ。

トレッキングとは自分を知り、山を知り、景色を楽しむ、そして厳しい世界だった。

1歩踏み入れた俺達はまた、いつかどこかの山に挑戦するのかは謎であるが、

また挑戦してみるのも悪くないな、そう思えるかな。


トレッキング日数23 シャワー浴びた回数4回 うんこまみれ1回
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No title

神秘的な山で奇跡的に手に入れれたipotが輝いていますね☆
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